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残り香 【1】 [月とクジラ]

まだ真新しい店内に朝日が差し込む。

カウンター席の上には珈琲豆が入ったガラス瓶が数種類ほど丁寧に並び、その横に小さな

観葉植物がひっそりと飾られてある。

最近流行りのモダンな感じのソファーにテーブル、そして間接照明付きの大きな白壁。

シックで落ち着きのある空間は大衆受けするらしい。昨日店長がそんなことを言っていた。

この店に来てまだ半年足らずだがスタッフが少人数の為、たまに僕が朝の仕込みを

ひとりでやっている。

珈琲豆の香ばしい香りの中、眠気をこすりながらオーブンに火をつけ淡々といつもの手順で

下準備を始める。JAZZの軽やかなリズムが響く。誰もいない店内。

次第にうっそうとした雰囲気は取っ払われていき、周りの空気がモノクロからカラーに切り替わる。

初めのうちはおぼつかなかったこの作業もだんだんと体に馴染みだし、今では全工程を以前の

3分の1程度の時間でこなすようになっていた。

ある程度の準備を終えるとカウンター席に腰を下ろし、タバコに火をつけ煎れたての

コーヒーを味見する。

濃いコーヒーが体中の血液と混流し全身にしみ渡っていく。すると、じんわりと心地良さが

体の奥底からこみ上げてくるのがわかる。

この瞬間がたまらなく好きだった。

静まりかえった空気の中で自分だけの時を刻み、誰もそれを邪魔するものはいない。

その間僕はイメージの中で呼吸をするのだ。昨日までの嫌なことなんかは、大抵その瞬間

消えていった。

まるで珈琲豆と一緒にゆっくりとドリップされていく感じ。完全にトリップ状態。

一日におけるこのほんの一握りでしかない時間が僕にとってはかなり貴重なものになっていた。

昼にもなればこの静かな空間もあっという間に喧騒の中に飲みこまれ、僕の脳みそもトロトロに

溶け出していくのだから。

そして気付けば日が沈み一日が滑るように終わっていく。

日々その繰り返しだった。リフレイン・・・。

単調なリズムの中で僕は一定の反復運動を保っていた。

あの日、彼女と出会うまでは。
タグ:月 クジラ
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